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本場大島紬(男物一疋) 商品番号 001  本場大島紬(男物一疋) 100亀甲柄
男の着物の定番!やっぱり本場大島紬でしょう 。
お召し、各地紬などもいいですが「着心地」「伝統的価値」などを
トータルに考えて値段的に手が届くなら、一番オススメです。
藍色と茶泥色の2色あります
着物ブログ

2009年7月5日(日曜日)

堰出しロウケツ染の着尺

Filed under: - masa @ 00時30分09秒

ロウケツ染の技法の中では、 一番面倒な 堰出し染の 着尺です。
もちろん、着物に出来ますが、 最近はコートや羽織を こんな洒落た着尺で 誂えたりされる方が多い
のです。   少し丈を長めにしますので、 昔のコート用の長さでは仕立てられないのです。
堰出し染の特徴は、柄と柄の間に、糸目が無いのですが、 全体を堰出し染で、同系色の色の濃淡だけで染め上げているのは珍しい逸品です。  年々職人も減り、工房も減り、製品も減っています。蝋を
掛けたり、洗ったり、蒸したり、制作行程でも工場が無くなったり、職人がいないのも、良い着物が創れなくなる、一番の原因でもあります。 自分一人で、着物を創れる人は一人も居ないのですから。


真中から、左側が染表、右側が裏です、 表の方が何度も蝋を置いたり洗ったりするので、色にスレが
出てきます、そのスレ加減が堰出し染の特長であり、雰囲気の良さです。
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2009年7月3日(金曜日)

本場割込み大島紬

Filed under: - masa @ 10時07分41秒

HPでの紹介品の再アップのリクエストや、お値段の問い合わせなどには、快く対応していますが、
やはり、現物を見て頂きたいので、品定めの発送も当方負担で行っていますので、遠慮なく申しつけ
くださいませ。 近隣の方には、もちろん直接お持ちして説明もしています。

本場大島紬の割込み絣織ですが、年々の減反の末、年間生産数は数十反になり貴重価値も上がって
います。 吉三郎は、古典柄と創りも良く一番の老舗です。泥の色も良く割込み絣の王道です。


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7月のプレゼント!

Filed under: - masa @ 01時20分12秒

7月のプレゼント 新潟十日町紬の着尺です。
織の里十日町でも、生産は激減しています、景気の良かった頃の紬で、経糸に節糸を使っています。
未仕立ですので、自分の寸法で仕立てたら10数万の価値があります。  1名様にプレゼントします。
仕立等の加工は当方で承ります。 (別料金)

プレゼントの応募はコチラ、必ずプレゼント希望とお書き下さい。


2009年7月2日(木曜日)

琉球筒描帯

Filed under: - masa @ 11時08分23秒

琉球染織の中でも、紅型染と同等に人気のある、筒描きの九寸帯です。 プロの人には定評がある
筒井慶子の作品です。 京都の専門問屋から、今流行の 座繰り織の生地を送らせて紅型と同じ
顔料で染めています。 地染は黒で、前に柄が入っていないので、締めている正面から見たら、黒
無地と思いますが、御太鼓はスゴイ遠山の柄が現れてくる、みたいな感じでしょうか。
ベテランの筒井慶子は、作品創りに専念し、名前を売る事はしないので、(伝統工芸展には出品し
ています) 落款とかラベルとかを作ったりしません。


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50年以上前の
城間栄喜の型紙染の着尺

当時、沖縄の人は、高く連
なる山々と言う景色を見た
事がないで、異国への憧
れの目で想像する柄を創
ります。

城間栄喜は、この時期は
米軍人用土産の、ネクタイ
ピアノ掛け、テーブルクロス
なども創っていました。

型紙は、型巾の繰り返し
で柄が続きますが、
筒描きはカラス口などで
直接糊を置きますので
同じ柄が続きません。


2009年7月1日(水曜日)

大城廣四郎の琉球藍染生紬

Filed under: - masa @ 00時34分42秒

琉球絣の中でも、 超貴重品になった「琉球藍染」 故 大城廣四郎の得意だった 「生紬糸」を使用
するなど、 一番良い頃の着尺です。 特に生紬の藍染はほとんどありません。 琉球藍に最後まで
拘った大城廣四郎の数少ない逸品です。   廣四郎さんのピーク時は、朝5時から作業に入り、一日
一反を織り、町に売りに行き、売れたお金で糸を買って来る、神業の仕事をしていました。 当時は織りは女性の仕事だったので、隠れて織っていて、人が来ると機の前から逃げたそうです。 自分で織った
生地で、自分でジャケットを縫い着ていた話は有名で、縫製の注文も来たらしいです。
師につかず、独学であり、創りの全行程を一人でこなしていた、生きていれば間違えなく人間国宝に
指定されていたでしょう。


藍染と生紬に最後まで拘った、廣四郎にしか出来ない作品。 お問合せはコチラ


男前着物店